1年後のBlackstar
さて、去年、デヴィッド・ボウイの最後のアルバム「Blackstar」を買って
私には何だかちょっと難解だなあと書いたのでした。
(→去年の記事:Blackstar )
あれから1年以上たってしまったけど最近になって
自分の音楽を聞く耳がずいぶん変わったなあと感じて自分で感心しているので
それを書いてみようと思います。
自分でも忘れていたけど、
去年も「透明感」という言葉を使ってた。
今になって、その透明感がいっそう増して
アルバムのどの曲も「こんな音楽、他にない!!」と思えるようになったんです。
私は別に音楽に詳しいわけじゃないし、他に似たものがあるかないかすら知らないけど
他にない!と思える存在感を感じます。
ボウイがこれを発表して亡くなったなんて、出来すぎ。
ホントに出来すぎ。
この世から去ることを計画していたんじゃないかと思わせるくらい。
やっぱり彼は、「地球に落ちてきた男」だったのか?なんて思っちゃう。
亡くなったのではなく、ただ去っていったのだと。
以前の自分がこのアルバムを難解だと感じたこともよく分かる。
音の変化に自分がついていけなかったというか、私の持ってる枠からはみ出ていて
把握しきれなかったんだ~。
今でも把握できてるか?と言ったら、そうじゃないかもしれないケド
その「はみ出した」と感じるところが実は
大きな振り子みたいになっていて、ちゃんと真ん中にまた戻ってきながら
進んでいく軸はちゃんと通っている、みたいな感触に変わったんだ。
はみ出し方がまた、外しそうで外さない、フラジャイルな感覚で危うい。
それが綱渡りみたいに不安定だけど、だからこその緊張感と
次へジャンプする余地を与えてくれるというか。。。
歩くときには片足を持ちあげる。その瞬間は不安定だけど
だから次の一歩は自由なんだよね。
これを聞いて、これまで普通に好きだった他のいろいろな曲を聞くと
安定していて安心に聞こえる。
でも、安定しているけれどその「安定」がどこか「固定」に繋がり
緊張感や次の一歩の自由さにやや欠ける感じがして
安心だけどちょっとつまらない??なんて思えたり。
そうそう、太陽系の惑星の公転を立体的な映像にしたのがあったけど
こんなイメージがちょっと近いかなあ。。↓ (この映像すごい。視野が変わるよ)
こんなふうに音楽を聞いたことはなかったので、自分の中ではビックリ。
そして耳で音を聞くのと同時に、全身の肌と筋肉がリズムを追っている。
骨も参加してる。
なんでそんなふうに変わったのかと言えば、やっぱり回顧展を見たからかなと思う。
ボウイは変化の人だった。自分で決めたキャラを作っては捨てて
解体を繰り返した人だった。
解体。存在解体。枠組みを捨てる。そのほんの端っこが私のところにも届いたのかも。
そして音楽だけじゃなく、私の中では同時に本の読み方も変わってしまった。
私にとっては新しい読書体験があったのも、この枠組みの変化によるのかも。
本については、また別に書こうと思います。
↓とにかくいい♪ すっばらし~!
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